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内藤哲也と高橋ヒロムの「深い」関係性


なたは、新日本プロレスワールドにて「特別企画 Interview with Los Ingobernables de Japon #15」を視聴しましたか?

 

http://njpwworld.com/p/o_original_0008_159

 


・・・私は、あるコメント部分だけを何度も見てしまいます。

 


どの部分?

 


そう、

 


内藤哲也選手が高橋ヒロム選手について語っている部分です。【4:50~】

 

 

f:id:seki77:20161119164033p:plain

 


正直、ニヤニヤが止まりません。

 


そして、その勢いで必ず読んでしまうブログ・・・

 

 


それは、今は「ほぼ」更新されていない内藤哲也選手のアメブロ

 

ameblo.jp

 


このブログには、多々高橋ヒロム選手が登場しています。・・・高橋ヒロムとして登場はしていませんが、ある名前が高橋ヒロム選手なんです。


※探して想像してください 笑

 


さらに・・・

 

私は、以下のブログをニヤニヤして読み、そして、最後には「涙」してしまいました 汗

 

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各レスラーの、デビュー戦後のコメントは興味深い。「目標はダイナマイト・キッドです」(棚橋弘至)という溌剌としたものから、「これからリング上で(お世話になった方々に)恩返ししていきたいと思います」(YOSHI-HASHI)という泣かせるもの、果ては、「やってみて楽しいと感じました。アマチュアで大舞台とか経験してるので、緊張とかはなかったですね」(矢野通)という、今に通じるふてぶてしいものまで。

 

その中で、こんなものもあった。「親にこんなにいい名前をつけてもらったのに、(負けて)申しわけなく思ってます……」。この男こそ、高橋広夢11月5日の新日本プロレス大阪大会に“時限爆弾”として現れ、来年1月4日の東京ドーム大会には、高橋ヒロムとしてIWGPジュニア王座への挑戦も決定している、まさに注目株だ。今回の当欄はこのヒロムというレスラーの深層を、彼が尊敬する4人のレスラーから探りたい。

 

「海外修行で、料理が、特にパパイアをむくのが上手くなりました(笑)」(ヒロム)

 

学生時代は陸上競技に勤しんだヒロム。中学1年の夏休みにたまたまテレビで見た「G1 CLIMAX」決勝戦蝶野正洋vs高山善廣に興奮(02年8月11日)。「あまりにもカッコ良くて、自分もこんな強い人間になりたいと思って」、その場でプロレスラーになることを決意。実際、ヒロムの尊敬するレスラーの1人に、蝶野の名が入っている。

 

10年にプロデビューし、影響を受けたのは、金本浩二。一騎打ちをした際、“ジュニアの蹴撃番長”とも言われるその喧嘩スタイルに、大きく影響を受け、私淑した。(11年6月18日・大阪府立体育館)。

 

13年6月よりは、イギリス、メキシコ、アメリカへと海外武者修行。世界を駆け巡っても、その夢が変わることはなかった。それは、「IWGPのベルトを巻いて、ゴールデンタイムで試合をすること」、そして、「IWGPジュニアのベルトを巻いて、IWGPヘビーのベルトを獲ること」。「ジュニアはヘビーの下じゃない!」が彼の持論であり、なにせ、その座右の銘も、「一寸の虫にも五分の魂」だから、本心であること、この上ない。よって、目標とする選手の1人が、IWGPジュニア王者ながら、同ヘビー級王座に挑戦したことのある、プリンス・デヴィットだ。本年11月5日に凱旋した姿も、ジュニアの枠に止まらぬスケール感だった。

 

そのニックネームは“赤い旋風”。これは彼の赤く染めた髪の毛から来ているのかと思い、そうした理由を、馴染みの記者が聞いたことがある。すると、ヒロムはこう答えた。「メキシコ時代、被っていたマスクが赤でしてね……」。一瞬、記者は何のことかわからなかったというし、また聞きで聞いた筆者もそうであった。ヒロムは続けた。「マスクからはみ出た髪も、色をそろえようと思って、髪の先だけ赤く染めたんです。そしたら、ちょうどその日のマスクを賭ける試合で負けてしまって。脱いだら髪の先だけ赤いわけですよ。これはもう、全部を赤く染めるしかないな、と……」。実を言って、ヒロムのプロレス人生も、そんな空振りの連続だった。

 

■「今の弱点?あえて挙げるなら、花粉です(笑)」(ヒロム)

 

新日本の入門テストを最初に受けたのは08年。だが落ちた。09年5月に入門成功も、デビューは10年の8月。時がかかり過ぎている。何の格闘実績もなかったことが理由の一つであることは疑いない。総合格闘技のリングを跋扈して来た柴田勝頼桜庭和志の迎撃要員に指名されたこともあったが(12年9月)、その際のコメントは、「プロレスで喧嘩をするだけ」。金本に憧れたのも、自分は、その負けん気だけが最大の武器だと知ったからだった。

 

海外修行は、会社から期待されたものではなかった。なぜなら、自分から「行きたい」と手を挙げたのだ。理由をこう語る。「ヤングライオンは、いろいろとガマンしなきゃいけないことが多くて。正直、耐えられなかったです。厳しいのはいいんですよ。でも、試合で結果を出せない日々が続いて……。『一度、自由になりたい。外で自分を試してみたい』って……」

 

「練習生の頃は、何をやっても駄目だった」と認めるヒロム。道場で怒られ続ける毎日だった。そんなヒロムに、こう声をかけて来た先輩がいたという。

 

『俺で良ければ、プロレスを教えるよ』

 

「今でも忘れません。あの言葉がなければ、デビューすら出来なかった」と語るヒロム。発言の主は?

 

 

 

「内藤さんです」

 

 

 

本年1月に一時帰国した際、ロス・インゴベルナブレス入りについても報道陣に問われたヒロム。その答えは以下だった。「トランキーロ、焦んなよ。それだけです」

 

ヒロムのドラマは、まだ始まったばかり。どこか昭和の匂いのする、努力型かつ叩き上げの彼が、今の新日本のリングにどんな絵を描くのか、楽しみにしたい。


引用記事:ぼくらのプロレス

 


・・・どうですか?

 

涙せずにはいられないでしょ?

 

それだけ内藤哲也高橋ヒロムの関係性は「深い」。

  


では。

 

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