内藤哲也と高橋ヒロムの「深い」関係性
あなたは、新日本プロレスワールドにて「特別企画 Interview with Los Ingobernables de Japon #15」を視聴しましたか?
http://njpwworld.com/p/o_original_0008_159
・・・私は、あるコメント部分だけを何度も見てしまいます。
どの部分?
そう、
内藤哲也選手が高橋ヒロム選手について語っている部分です。【4:50~】
正直、ニヤニヤが止まりません。
そして、その勢いで必ず読んでしまうブログ・・・
それは、今は「ほぼ」更新されていない内藤哲也選手のアメブロ。
このブログには、多々高橋ヒロム選手が登場しています。・・・高橋ヒロムとして登場はしていませんが、ある名前が高橋ヒロム選手なんです。
※探して想像してください 笑
さらに・・・
私は、以下のブログをニヤニヤして読み、そして、最後には「涙」してしまいました 汗
各レスラーの、デビュー戦後のコメントは興味深い。「目標はダイナマイト・キッドです」(棚橋弘至)という溌剌としたものから、「これからリング上で(お世話になった方々に)恩返ししていきたいと思います」(YOSHI-HASHI)という泣かせるもの、果ては、「やってみて楽しいと感じました。アマチュアで大舞台とか経験してるので、緊張とかはなかったですね」(矢野通)という、今に通じるふてぶてしいものまで。
その中で、こんなものもあった。「親にこんなにいい名前をつけてもらったのに、(負けて)申しわけなく思ってます……」。この男こそ、高橋広夢。11月5日の新日本プロレス大阪大会に“時限爆弾”として現れ、来年1月4日の東京ドーム大会には、高橋ヒロムとしてIWGPジュニア王座への挑戦も決定している、まさに注目株だ。今回の当欄はこのヒロムというレスラーの深層を、彼が尊敬する4人のレスラーから探りたい。
「海外修行で、料理が、特にパパイアをむくのが上手くなりました(笑)」(ヒロム)
学生時代は陸上競技に勤しんだヒロム。中学1年の夏休みにたまたまテレビで見た「G1 CLIMAX」決勝戦、蝶野正洋vs高山善廣に興奮(02年8月11日)。「あまりにもカッコ良くて、自分もこんな強い人間になりたいと思って」、その場でプロレスラーになることを決意。実際、ヒロムの尊敬するレスラーの1人に、蝶野の名が入っている。
10年にプロデビューし、影響を受けたのは、金本浩二。一騎打ちをした際、“ジュニアの蹴撃番長”とも言われるその喧嘩スタイルに、大きく影響を受け、私淑した。(11年6月18日・大阪府立体育館)。
13年6月よりは、イギリス、メキシコ、アメリカへと海外武者修行。世界を駆け巡っても、その夢が変わることはなかった。それは、「IWGPのベルトを巻いて、ゴールデンタイムで試合をすること」、そして、「IWGPジュニアのベルトを巻いて、IWGPヘビーのベルトを獲ること」。「ジュニアはヘビーの下じゃない!」が彼の持論であり、なにせ、その座右の銘も、「一寸の虫にも五分の魂」だから、本心であること、この上ない。よって、目標とする選手の1人が、IWGPジュニア王者ながら、同ヘビー級王座に挑戦したことのある、プリンス・デヴィットだ。本年11月5日に凱旋した姿も、ジュニアの枠に止まらぬスケール感だった。
そのニックネームは“赤い旋風”。これは彼の赤く染めた髪の毛から来ているのかと思い、そうした理由を、馴染みの記者が聞いたことがある。すると、ヒロムはこう答えた。「メキシコ時代、被っていたマスクが赤でしてね……」。一瞬、記者は何のことかわからなかったというし、また聞きで聞いた筆者もそうであった。ヒロムは続けた。「マスクからはみ出た髪も、色をそろえようと思って、髪の先だけ赤く染めたんです。そしたら、ちょうどその日のマスクを賭ける試合で負けてしまって。脱いだら髪の先だけ赤いわけですよ。これはもう、全部を赤く染めるしかないな、と……」。実を言って、ヒロムのプロレス人生も、そんな空振りの連続だった。
■「今の弱点?あえて挙げるなら、花粉です(笑)」(ヒロム)
新日本の入門テストを最初に受けたのは08年。だが落ちた。09年5月に入門成功も、デビューは10年の8月。時がかかり過ぎている。何の格闘実績もなかったことが理由の一つであることは疑いない。総合格闘技のリングを跋扈して来た柴田勝頼、桜庭和志の迎撃要員に指名されたこともあったが(12年9月)、その際のコメントは、「プロレスで喧嘩をするだけ」。金本に憧れたのも、自分は、その負けん気だけが最大の武器だと知ったからだった。
海外修行は、会社から期待されたものではなかった。なぜなら、自分から「行きたい」と手を挙げたのだ。理由をこう語る。「ヤングライオンは、いろいろとガマンしなきゃいけないことが多くて。正直、耐えられなかったです。厳しいのはいいんですよ。でも、試合で結果を出せない日々が続いて……。『一度、自由になりたい。外で自分を試してみたい』って……」
「練習生の頃は、何をやっても駄目だった」と認めるヒロム。道場で怒られ続ける毎日だった。そんなヒロムに、こう声をかけて来た先輩がいたという。
『俺で良ければ、プロレスを教えるよ』
「今でも忘れません。あの言葉がなければ、デビューすら出来なかった」と語るヒロム。発言の主は?
「内藤さんです」
本年1月に一時帰国した際、ロス・インゴベルナブレス入りについても報道陣に問われたヒロム。その答えは以下だった。「トランキーロ、焦んなよ。それだけです」
ヒロムのドラマは、まだ始まったばかり。どこか昭和の匂いのする、努力型かつ叩き上げの彼が、今の新日本のリングにどんな絵を描くのか、楽しみにしたい。
引用記事:ぼくらのプロレス
・・・どうですか?
涙せずにはいられないでしょ?
では。
⇒ ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンに関する記事一覧はこちら
↑ コチラの【深読み】記事は当ブログのおすすめコンテンツであり、たくさんの読者様から支持を受けています。選手の気持ち・心理を【深読み】し今後の展開などを予想している。